林間に酒を暖(あたた)めて紅葉を焼(た)く

 

高倉上皇は、たいそう優雅な方で、人々がお慕い申しあげていた。

この君は、まったく御幼少の時から柔和なご性格をお受けになっておられた。

皇位にお就きになってまもなくのころ、御年は十歳ほどになっておられたか、たいそう紅葉を愛され、北の陣に小山を築かせ、櫨(はぜ)や楓(かえで)の色美しく紅葉した樹を植えさせて、紅葉山(もみじやま)と名づけ、一日中ご覧になっても、なおお飽きになることがなかった。

ところがある夜、無情にも強い風が吹いて、紅葉をみな吹き散らし、あたりに落ち葉が散乱した。

翌朝、主(との)殿寮(もりょう)の下部(しもべ)が掃除のときに、これすっかり掃き捨ててしまった。残っている枝や、散った葉をかき集め、風の冷えびえとした朝なので、酒を温めて飲む薪にしてしまったのであった。

担当の蔵人が、天皇がお出でになる前にと、急いで行ってみると、紅葉は跡かたもなく、なくなったいる。

「どうしたのか」と尋ねると、このようなことで、と言う。

蔵人はたいそう驚いて、「これは困ったことだ、主上があれほど御執心であった紅葉を、このようにしてしまったのは情けない。お前たちはただちに投獄されるか、流罪になるか、私もどのようなお叱りをうけることであろう」と慨嘆するところへ天皇が常より早く御寝所をお出になりすぐに、ここにお出でになって紅葉をご覧になったが、なくなっているので、

「どうしたのだ」とお尋ねになったが、蔵人は申し上げる言葉に窮した。

ありのままに事情を申し上げると天皇は、ことのほか御きげんよくお笑いになって、「『林間に酒を暖(あたた)めて紅葉を焼(た)く』という詩の心を、その者たちに誰が教えたのか、風雅なことをしたものだ」

そう言われて、かえっておほめになったので、とくにお咎めになることはなかった。

<◎平家物語 巻第六 紅葉>

我が家でもモミジの木が二本あり、紅葉が終わると葉が散って地面は黄色の落葉の絨毯となる。

掃き集めたりしないで、“いいなあ”と毎日見ている。

落ち葉で酒の燗をつけようとは思ったことはないが、緑の葉がまず黄色に変わりそして朱色に変わりつつある頃、西日が差してくると早めの一杯が飲みたくなる。お燗をするのには山形市で買ってきた片口にしよう。

高倉上皇は白居易(白楽天)の詩のことを言っている。

寄題送王十八帰山仙遊寺
曽於太白峰前住
数到仙遊寺裏来
黒水澄時潭底出
白雲破処洞門開
林間煖酒焼紅葉
石上題詩掃緑苔
惆悵旧遊復無到
菊花時節羨君廻

その昔、私が太白峰の麓に住んでいた頃はよく仙遊寺へ出かけたものだ。水が澄む秋の季節には、川淵の底まで透けて見え、白雲が切れた辺りに仙遊寺の山門があった。また仙遊寺の林間では散り落ちた紅葉を焚いて酒を煖めたり、緑苔を払った石の上に詩を書いたりしたものだ。ああ残念ながら、昔遊んだあの地に私はもう二度とは行くことはないだろう。菊の花の咲くこの季節に、そこに帰っていく君が羨ましいよ。

高倉上皇は10歳のころから紅葉を賞美したという風雅の心を持っていて、また執心の紅葉を焼いてしまった下部たちの行為を、白楽天の詩の心になぞらえて感心されたという温情、その柔和さが主題となっている。

高倉上皇は平清盛と時子の娘平徳子(後の建礼門院)を中宮に迎え。皇子(のちの安徳天皇)が誕生している。

いろいろ書きたいことは多いが、話はひとまずここで打ち切りまして、次の話題に行こう。


“主(との)殿寮(もりょう)の下部(しもべ)が掃除のときに、風の冷えびえとした朝なので、酒を温めて飲む薪にしてしまった”

これは、どういうことだろう。寒い朝だからと言って、当時は朝酒を飲むことが容認されていたのだろうか? 故実に詳しい人がいたら、教えてもらいたいものだ。

今では朝酒はアルコール依存症の第一歩だとみなされる。私はいくら飲みたくなっても、朝からはやらない。

しかし、山や海でのキャンプの時に早い時間から一杯やるのは至福のひと時である。温泉旅館に早く入って早めに始めるのもいい。