春は名のみの

令和六年の立春は二月四日だ。春が来たと言っても、まだまだ寒いとき。

二条后の春のはじめの御歌

雪のうちに春はきにけりうぐひすのこほれる涙いまやとくらん
(古今集 巻第一 春歌上)

雪がまだあるというのに立春が来た。鶯の凍った涙も今はとけているでしょうか。鶯はそろそろ鳴くでしょう

恋多き二条后は、昔の彼氏を思い出して涙を流したのかもしれない。
いい歌だと思う。二条后(藤原高子)は平安時代前期、清和天皇の女御で、入内前の在原業平との話が伊勢物語にある。

藤原高子藤原北家の娘として、将来は天皇の后となり、次期天皇を生むことが期待されていて大切に育てられていた。

清和天皇即位後の最初の大嘗祭において、藤原高子は五節の舞姫をつとめた。このとき高子は、まだ入内していない、未婚の十八歳である。高子の美貌は抜群であった。清和天皇は十歳である。しかし高子の美貌を当然に見ていた。

しかしながら、藤原高子の五節の舞を見ていたのは、清和天皇だけではない。

大勢の見物客のなかに、在原業平がいた。

日本史上最高のプレイボーイである。
業平はあの手この手で口説き落とす。

高子は恋の蜜の味を知ってしまった。

藤原北家では天皇に入内させ次期天皇を産んでもらわなければならない大事な娘である。監視が厳しくなった。

そこで駆け落ちしようということになった。高子はいつも牛車に乗っているので走ったことはない。

絵にあるように、業平は高子をおんぶして逃れてきた。しかし芥川に来た時に鬼にとらえられて食べられてしまった。実際は追っ手に捕まった。

藤原北家は、女を蔵に押し込め、男から防衛する。男は、蔵に向かって、笛を吹く。結局、男は京都から追放される。

在原業平は平城天皇の息子で、平安時代初期に活躍した歌人だ。

六歌仙のうちの一人で、和歌の才能があり美男子だったといわれている。

百人一首にも選ばれている次の歌は代表歌。
ちはやぶる 神代もきかず 竜田川 からくれなゐに 水くくるとは

『古今集』秋・294

普通の解釈では、
“神の時代にも聞いたことがない。竜田川の水を(紅葉葉が)あざやかな紅色にくくり染めにするとは。”

しかし実は、この歌は業平が二条の妃である藤原高子に向けて詠った恋の歌といわれている。

「あなたへの燃えさかるような想いが、激しい水の流れを真っ赤にくくり染め上げてしまうほど、今でもあなたを愛しています」

≪後日譚≫
高子二十五歳、高子は入内し、清和天皇の女御となる。

高子二十七歳、男子誕生。この男子は、生後三ヵ月で皇太子となり、九歳で清和天皇から譲位され、第五十七代・陽成天皇となる。

高子は、皇太子の母となり、そして天皇の母となったのだ。それなりの権力をもってわがままも許される。

そして、かつての恋人、在原業平との関係復活である。高子の意向で、業平は蔵人頭となり陽成天皇の近くで仕えるようになった。

≪落語≫
古今亭志ん生 (五代目)の得意とした演目“千早(ちはや)振(ふ)る”がある。

隠居が短歌にいい加減な解釈を加える話である。これを書くと長すぎるので、今回はこの辺で。