夏が来れば思い出す

LIED VOM MEER
Capri. Piccola Marina

Uraltes When vom Meer,
Meerwind bei Nacht:
Du kommst zu keinem her;
…… ……
…… ……
GEDHICHTE
VON
RAINER MARIA RILKKE

海の歌
(カプリ島 ピッコーラ・マリーナ)

太古の息吹 わだつみの息吹
夜を吹く海の風
それは誰のために来るともしない。
夜が更けてこんなにおそく
誰かがまだ眠らずにいるならば
その人はただ独りおん身を耐えねばならぬ、
以下略
リルケの詩
(片山敏彦 訳)

子どもが小さいころ、家族みんなで牡鹿半島の十八成浜(くぐなりはま)に毎年泊まりに行きました。

海で泳いだり、堤防から竿を出しメバルやサヨリを釣ったりして、夜は海の料理でビールをしたたか飲んだものでした。

夜に民宿の窓際に座り海を見ているとリルケの海の歌がいつも口をつきました。

海岸ならではの海風を、“はるかに遠い果てからひろがりだけを吹きつけている”と詩的な気持ちになったものです。

夏になると十八成浜に行かなくても、いつもこの詩を思い出します。

黒髪の乱れもしらずうち臥せばまずかきやりし人ぞ恋しき

(和泉式部 後拾遺和歌集)

黒髪の乱れも気づかないで横たわっていると、あの時恋の喜びで我を忘れ、すっかり乱れてしまった私の黒髪をやさしく掻き揚げてくれたあの人のことを恋しく思い出される。

和泉式部は平安中期の歌人で百人一首にとられているので、その情熱的な歌が好きな人も多いでしょう。

平安中期の女流歌人中最多の勅撰集に約240首入集している大歌人です。

紫式部は彼女の日記の中で

“おもしろう書きかはしける。されど、和泉はけしからぬかたこそあれ”

…素敵な恋文を書きかわしたようですね。

ただ和泉には、ちょっと感心できない点があるのですが… “と書いています。和泉は恋の多い女性でしたので、彼女の恋の顛末が手紙や贈答歌と共に世に知れ渡っていたのでしょう。

私は彼女の情熱的な歌が大好きです。

百人一首の「あらざらむ この世のほかの 思ひ出に 今ひとたびのいまひとたびの 逢ふこともがな」や「ものおもへば 沢のほたるも わが身より あくがれいづる たまかとぞ見る」などは、すごい表現で恋する女ごころをこれほど
歌っているものは無いだろうと思います。素晴らしい。

平井康三郎がこれらの歌に曲を付けています。ソプラノ歌手関定子の絶唱があります。

さて、なぜこの黒髪の歌を夏が来ると思い出すのか。

湿った空気の中で、来てくれない帥宮(そちのみや)を思い出しているのです。長い間悶々と思い悩んで、髪は乱れてしまします。来てくれれば、もう一度我を忘れて、喜びに浸り、もっともっと髪が乱れるでしょう。でもいいのです。宮がやさしく梳かしてくれるから。

これは、もう夏の歌でしょう。

写真は花橘です。

6月ころ、梢に香りの高い白い五弁の花を咲かせます。 高貴な香りが古くから愛されてきました。

和泉式部と敦道親王との馴れ初めの花です。この話を書くと長くなるので
今回は省略します。

白たへの沙羅(さら)の木(こ)の花(はな)くもり日のしづかなる庭に散りしきにけり

斎藤茂吉 (ともしび 大正14年)

沙羅の木は初夏から梅雨の頃、小枝の薄い緑の葉のわきに、白い五弁花が朝、涼しげに咲いて夕方にぽとりと落ちる一日花です。

つぼみが枝を埋めるように次々とつくので、翌朝新しいつぼみが開いています。

夏椿ともいわれます。

我が家の庭には沙羅の木が一本あります。

夏の楽しみです。一人悦に入っています。