博物館や美術館というと“作品の写真撮影はできない”というイメージがありますが、今はOKな所もあります。
普通は作品保護、所蔵者権利保護の観点や他の方の鑑賞の妨げになるといった理由で、撮影は禁止されているところが普通でした。
私も静謐な空間で、じっくり作品と向き合いたい、という気持ちは大きいのですが、自分だけの記念にちょっとスマホで写真や動画を取りたいときもあります。
新国立美術館「ウィーンモダン展」
4月から6月にありました。
ウィーン世紀末の巨匠の傑作が集結し、ウィーン・ミュージアムの至宝が見られ
ウィーン豊饒な文化を楽しめました。
絵画ではクリムト、シーレ世紀末の巨匠が遺した作品をたっぷり見られました。
19世紀末ウィーンを代表する画家グスタフ・クリムト(1862-1918)華やかな装飾性と世紀末的な官能性をあわせもち魅力にあふれます。
華やかな装飾性というのは絵画に金箔を多用した「黄金時代」と言われる作品群を指しています。
クリムトが最愛の女性を描いた≪エミーリエ・フレーゲの肖像≫
今回の展覧会のメイン・ビジュアルの一枚となっているものです。
なんと東京展ではこの作品に限り、撮影OKでしたので、私もパシャリ。
エミーリエ・フレーゲはファッションデザイナー、女性実業家でクリムトの人生において、一番重要な女性だったようです。
クリムト自身は沢山の女性と関係を持ち、子供も10人以上にいた自由奔放な人間だったようですが、そんな中でもエミーリエとは、クリムトが亡くなるときに「最後にそばにいてほしい」と言ったほどです。
写真で見るとクリムトより背が高く知性を感じさせる美人さんです。
目黒美術館「世紀末ウィーンのグラフィック」
4月から6月にありました。
1897 年に、「時代にはその芸術を、芸術にはその自由を」という有名なモットーを掲げてウィーン分離派(正式名称:オーストリア造形芸術家協会)が結成されました。
分離派の中心人物はクリムトでした。その後継者であるのがエゴン・シーレです。
シーレは私が大好きな画家です。そのテーマは死や性といったものが多く、象徴的に作品に表現するだけでなく、リアルな表現もしています。
また、シーレはイケメン画家としても知られておりまして、わずか28年という短い生涯で、様々な形式を使って170作以上も自身の姿を遺しました。
とりわけ1910年から11年にかけては、自画像が彼の作品テーマの中心となります。
ガラスの越しの写真なので不鮮明ですが、この自画像では額に深く刻まれた皺、彫りの深い目、まっすぐに伸びた指は、シーレの実際の容貌に忠実なものです。
ここでは全作品が撮影OKなので、来場者が何人もパシャパシャとやっていました。
ワタリウム美術館 ジョン・ルーリー展 Walk this way
4月から7月にありました。
東京都渋谷区の通称キラー通りにあります。
国際的なコンテンポラリーアートを多く展示する私設美術館です。
私のお気に入りの美術館です。
年4回ある企画展は他の美術館にはない個性的な内容で、期待外れになることはなく、芸術にゆったり浸れて至福の時を過ごせます。
建物は地上5階建てで、1階と地下にミュージアムショップ「オン・サンデーズ」があり、いろいろなアート関係の本やグッツが置いてあります。
欲しいと思う本が多々ありますが、懐と相談し、いつもは絵葉書で辛抱しています。
この美術館はどの企画展でも撮影OKです。
I am filled with rage
I am filled with rage
I hope it leads to something good
I am filled with fucking rage
John Lurieオレは怒りに満ちている
オレは怒りに満ちている
この怒りが良い方向へと向かうと良いのだが
オレはすごい怒りに満ちている
ジョン・ルーリー
アーティスト、ジョン・ルーリー(1952年生まれ、U.S.A.)は映画の主役を演じたり、ミュージシャンとして映画の音楽も担当したりしていました。
しかし1990年代後半、ジョン・ルーリーは「ライム病」という難病を患い、映画と音楽の世界から姿を消し、一人で、自由な時間にできる絵画制作に活動の場を移しました。
ジョン・ルーリーの描く世界は一見美しい夢の中のように見えます。
しかしその一方で痛烈な皮肉が込められていて、登場する動物たちも小さく弱々しいのですが、実はマイペースで自由な喜びをもっています。
近年、ジョン・ルーリーは生活の大半をカリブ海の島に暮らしに移し、一層、植物や動物などの自然が多く登場してきています。
展覧会では絵画以外にも映像作品(トローリンのグサメ釣り)もあり、たっぷり楽しめました。
ジョン・ルーリーの描く自由でアナーキーな世界を堪能しました。