栗駒山に夏鳥は歌う

初夏の栗駒山に登って山の鳥、山の花木、山の空気を楽しみたいと思っていました。思い立って休暇を取り、梅雨時の6月に出かけました。

仙台を出発する時は霧雨でしたが、栗駒山に近づくにつれて雨が上がり心地よい空と空気になってきました。

山に向かう途中の沢筋でオオルリが何羽も鳴いていましたが、車を止めて見ることもなく昇り続けました。

栗原耕英の駒の湯温泉で休憩。

耕英地区は2008年の岩手・宮城内陸地震で甚大な被害を受けた地区です。
開湯から400年の駒の湯温泉は日帰り温泉処として復活しています。

温泉と蕎麦セットがあります。
これから歩くので温泉はやめて蕎麦を一枚。

栗原耕英の名前はNHKの天気予報で見て、いつも県内一の寒冷な所だなあと思っていました。以前は「栗原耕英」でなく、「駒の湯」の表示でした。

標高450~850mの位置にあり、戦後満州からの引揚者を中心に入植が行われ、夏でも低温で冷涼な気候を生かしたイチゴや大根などの高原野菜、そしてイワナの養殖が特産のようです。

さて、山に登るのは「いわかがみ平」に行き頂上を目指せばいいのですが、今回は山の鳥、山の花木、山の空気という目的に合わせて「世界谷地湿原」のコースを取りました。

湿原までに至る山道が素敵でした。
ブナに両側を囲まれた道を行くと、両側に白い花茎のギンリョウソウ、オオカメノキなど……。ホトトギス、ウグイスが歓迎してくれます。

谷地には一昨年整備された木道が敷かれています。
ニッコウキスゲが満開で群落をなして絨毯となっていて、またワタスゲ白い果穂が共演する幸運に恵まれました、感動です。

木道の終点からは山道に入りました。
広葉樹の原生的な天然林に心が和みます。また、ブナの大木に感動。

薄暗い上の方から、“キョロン、チィー、キョロン、チィー、”と声がしてきました。おお、マミジロだ‼ 姿を見出てくれと声に出して念じましたが、見つけられませんでした。

山にいる大型にツグミ(鶫)類の3種に見分け方をちょっと説明します。
あいにく写真はありません。

姿と囀り(聞きなし)を少々披露します。

マミジロ、23~24センチほど。
眉が白い、そこで眉白。
暗い山林に生息します。
鳴き声は、前に書いた通り “キョロン、チィー、キョロン、チィー、”

アカハラ、23~24センチほど。
胸から腹にかけてオレンジ色、そこで赤腹。
高原の開けた林にとまってよく鳴きます。
鳴き声はマミジロの変化版 “キョロン、キョロン、チィー、キョロン、キョロン、チィー、”

クロツグミ、22センチほど
山地や丘陵地の林にいる。鳴き声は、アカハラ以上に変化をつけて複雑にしたもの、書くのが難しいですが、“チョチュリー、チュリー、チュリー、チョロ、チョロ、…”
とてもおしゃべりです。
森一番の歌い手です。

心安らかに、楽しくなります。

どの鳥も、すくっと立っています。ご行儀がよろしい。
今回はアカハラには会えませんでした。
クロツグミはたくさん見聞きできました。

斎藤茂吉は戦後山形に疎開しました。昭和21年1月、大石田町の二藤部兵右衛門方の離れに居住するようになります。

肋膜炎にかかり5月上旬まで臥床療養することになります。

黒鶫(くろつぐみ)来(き)鳴(な)く春べとなりにけり楽しきかなやこの老(お)い人(びと)も  斎藤茂吉歌集 「白き山」昭和21年

戦争に負けたショックや病気のこともあり自分を“老い人”と詠んでますが、この時茂吉は65歳です。

黒鶫の声は、傷心の茂吉の心を癒してくれたでしょう。

この離れは鳥がたくさん集まる家だという意味で、
茂吉は「聴禽書屋(ちょうきんしょおく)」と名付けています。

栗駒山麓の花山に宿を取りました。
露天風呂からは原生林の山が見えて疲れを癒してくれます。

夜は雨が降っていて朝も今にも降りそうな天気でしたが、散歩に出ました。

谷底の川岸からはカジカガエルの声が聞こえます。

営業を中止した旅館の方に行くと、アオゲラのドラミング、オオルリは木の高いところで鳴いています。

オオルリの声は艶があり、名歌手です。
キビタキと歌は似ていますが、オオルリは最後に“ジジ…”と付けます。
オオルリは姿も声もよく私は夏鳥の中では一番好きです。

道端にキイチゴ(モミジイチゴ)があり、実を付けていました。
5個ほど頂きました。甘酸っぱい夏の味。

谷の木の上から“ヒヒョロロロロ…”の声が聞こえました。アカショウビンです。
次第に下がり消え入るような美声。
全長27センチ。
燃えるような赤いくちばしと体全体が赤色を持つことから、火の鳥の異名を持ちます。
渓流のある暗い林に飛来するが、姿を見ることは少ないです。
サワガニ、カエル、トカゲなどの小動物や虫をとるようです。

しばらくするとこちら側の木の上でも鳴き始めました。姿は残念ながら見ることはできませんでした。

帰りには一迫山王史跡公園の一角にある「あやめ園」に寄って観賞。
あやめと杜若はほぼ終わっていましたが花菖蒲がちょうど満開でした。

茂吉は黒鶫が好きだったようで、次の歌があります。大石田を引き上げて東京に帰った昭和22年の歌です。

黒鶫(くろつぐみ)のこゑも聞こえずなりゆきて最上川のうえの八月(はちぐわつ)のあめ

鳥は一般的に、メスを呼ぶときには精一杯美声を張り上げて囀りますが、その季節が過ぎると鳴かなくなります。

(和)