薔薇の芽に思う

くれなゐの二尺伸ばす薔薇の芽の針やはらかに春雨の降る

<正岡子規>

春になり薔薇の丈も伸びてきて二尺ほどになった。春雨が降ってきた。その針も柔らかく感じられることだ


立春を過ぎて3月、4月頃になり、絹糸のように細かに降ってくる雨が春雨でしょう。

子規は、咲くであろう赤い薔薇を想像しつつ芽を見ているのです。

当時、子規は脊椎カリエスを病み、寝たきりの状態でした。

子規は庭に降りて薔薇の芽を触ったのだろうか。

春雨にうたれることができたろうか。

東京台東区の根岸に子規が生前住んでいた家を復元した「子規庵」があります。

初めてここを訪れたとき、庭にはちょうどヘチマ(糸瓜)が棚になっていました。

子規の絶筆その情景を目のあたりにしていたく感動しました。


糸瓜咲て痰のつまりし佛かな

痰一斗糸瓜の水も間に合はず

をとゝひのへちまの水も取らざりき


子規は筆を取り、ようよう三句作り、後は筆を投げ出して昏睡状態に陥りました。

その後の意識を取り戻すことはなかったそうです。

子規は短歌、俳句に近代文学としての位置を確立しました。

子規の短歌論を信奉し歌誌「アララギ」に拠った歌人たちをアララギ派と言います。

私の敬愛する斎藤茂吉はアララギ派の中心人物です。

 

さて、私は斎藤茂吉の短歌を毎年一首、書の作品にします。

かな文字で書きます。

一年一作主義でして、しばらく続けています。

九月の展覧会に出す作品は四月が締め切りですので、いつも確定申告の繁忙期にあって苦労するところです。

毎月、東京の三田にお稽古に通っていますが、三月のお稽古の後の午後、美術館巡りの途中で白金台の「自然教育園」に寄りました。

自然教育園は、大都市「東京」の中心部に今なお豊かな自然が残る、都会の中のオアシスともいえる自然好きな人にとっては天国です。

江戸時代は高松松平家の下屋敷だったそうで、いろいろ変遷があって大正時代に宮内庁の御料地になりました。

従って自然が良く残されています、広さは20ha(約6万坪)です。

園内には、森林・草原・池沼・湿原などいろいろな環境があり、たくさんの植物・昆虫・鳥などがいて、どの季節に行っても楽しめます。

シニアは無料です。いつも池のそばに写生しているグループがいます。この辺に住んでいたら幸せですね。

丘の上のマンションから友人に“あそこは私のお庭よ”なんて言っているのでしょうね。

リボンを付けて入り口を入れるとウギスカズラがピンクの花を咲かせていました。

ムサシアブニの芽が地面から突き出しています。

ひょうたん池の横を通り森の小道を登っていくと枯葉がそのまま残っていてふわふわです。

この道は野鳥を間近に見られます。

今回もシジュウカラ、アオジ、ウグイス、など、まだ囀ってはいなくて地鳴きです。

山の上には武蔵野植物園があります。武蔵野で生まれているような草花がたくさん植えられています。

東京は仙台よりはるかに暖かいのでカタクリが咲いていました。

森のバレリーナ、イナバウアーをやって見せてくれています。

春蘭は群生していました。やはり公園ですね。

仙台の近所の山でしたら、一本ぐらいいいだろうとすぐに取られてしまいますね。やはり仙台の山に行ってみたくなりました。

青下水源地の奥山、蕃山の辺り、近場では青葉山の公園や野草園。東北大の植物園は3月20日まで冬期休暇なのででそろそろ行ってみようか。

そこで茂吉が終生愛した翁草(おきなぐさ)を探してみよう。


おきな草口あかく咲く野の道に光ながれて我ら行きつも

斎藤茂吉歌集「赤光」より

※この歌は九月毎日書道展に出そうと思って今苦労して作品作りをしている歌です。