春のきざし

春は名のみの

山に住む友人がマンサクの花が咲いたと電話をくれました。

マンサクは、冬枯れたのに他の花に先駆けて“マズ咲く”花です。

それではと、事務所の近くのお宅の庭に植えてある蝋梅(ロウバイ)の様子を見に行ったら、数個の花芽がふくらんで少し咲き出していました。

もうしばらくすると、透き通るような質感と鈍い光沢のある、ロウ細工みたいな花びらがいっぱい見ることができて、上品な芳香を楽しめるようになるなぁ、と思いました。

毎年、ご近所のロウバイを見るのを楽しみにしています。

事務所の近所は公園やお寺などはなく、木や花で目を休ませる光景はないので、ちょっとでも季節の花を味わえるのはありがたいことです。

春が来たという感じ方は人によって様々でしょう。

ある友は、春になると星の輝き方がまるっきり違ってくるといっていました。

女性の服がパステルカラーになった、花粉症が出てきた、八百屋さんの店先でフキノトウを見たなど、いろいろあるでしょう。

光の春

私は、春のきざしは、いや増す光のうちに感じられます。

一月、二月、三月のはじめ、まだ「光の春」です。

そのあとに 水の春 がやってきて、

草と森の春

鳥の春

動物の春

人間の春

万物の春

になっていくと毎年思います。

最上川の春

斎藤茂吉は昭和21年2月に疎開していた上の山の金瓶から、大石田に移ってきました。

まもなく肋膜を病んで発病仰臥して、9月までは寝たり起きたりの状態でした。

12月になると大石田には雪が降り出して厳しい冬が始まります。

しかし次のような歌があります。

昭和22年1月19日の歌です。

最上川の ながれの上に 冬虹の たてるを見れば 春は来むかふ
(歌集「白き山」より)

茂吉は、日が長くなり、そして強くなり、空気が湿り気を帯びてきたのを敏感に感じていたのでしょう。

*来(き)むかふ(むかう)(来向かふ)とは、”近づいて来る“という意味です。

今の言い方では“春を迎える”というところを、

古い言い方では、「来る春」のほうに主体を置いて、

春はこちらに向かってくる、という言い方をします。

(和)