一人唄う

先日読んでいた小説に、

「一人で生活しているのがつらいことは、いくら動揺していても気にかけてくれる人がいないことだ、……」

と主人公がつぶやく場面がありました。

私は子連れの独身ですが、二人の息子は遠地に住んでいます。

東日本大震災の年の2011年3月以来一人暮らしです。

朝は4時に起きる関係で8時には寝ます。

食事のとき1時間は録画していたテレビなどを見て、その後の一時間は本を読む毎日です。

夜の8時頃、私にとっての深夜の闇が深くなると、我が実存の不安ともいうべきものが内奥から湧き上がってくることがあります。

我が家には酒はありません。あっても吞みません。

🎵 ♬ (^^ ♪ ♫ ♪
何処からか前奏が流れてきて、いつのまにか歌を歌っています。

どじょっこ ふなっこ

春になれば しがこ(すがこ)もとけて
どじょっこだの ふなっこだの
夜が明けたと思うべな

夏になれば わらしこ泳ぎ
どじょっこだの ふなっこだの
鬼っこ来たなと思うべな

秋になれば 木の葉こ落ちて
どじょっこだの ふなっこだの
船っこ来たなと思うべな

冬になれば しがこ(すがこ)もはって
どじょっこだの ふなっこだの
てんじょこはったと思うべな

この歌は、最後の節 ”…………思うべな“ の所を

森繁久弥が歌うように感情を入れる。

感に堪えないというように歌うことが肝心です。歌っていて気持ちがよろしい!


今年は栗駒山に2回登ったなー とか考えていると、仲間で歌ったこの歌が口から出てきます。

山賊の歌

雨(雨) が降れば(が降れば)
小川(小川) ができ(ができ)
風が(風が) 吹けば(吹けば)
山が(山が) できる(できる)
ヤッホ(ヤッホ) ヤッホホホ(ヤッホホホ)
さびしい(さびしい) ところ(ところ)
ヤッホ(ヤッホ) ヤッホホホ(ヤッホホホ)
さびしい(さびしい) ところ(ところ)

夜(夜) になれば(になれば)
空に(空に) は星(は星)
月が(月が) 出れば(出れば)
おいらの(おいらの) 世界(世界)
ヤッホ(ヤッホ) ヤッホホホ(ヤッホホホ)
みんなを(みんなを) 呼べ(呼べ)
ヤッホ(ヤッホ) ヤッホホホ(ヤッホホホ)
みんなを(みんなを) 呼べ(呼べ)

肩を(肩を) くんだら(くんだら)
明かり(明かり) をつけろ(をつけろ)
眠い(眠い) カラスは(カラスは)
起こす(起こす) じゃないぞ(じゃないぞ)
ヤッホ(ヤッホ) ヤッホホホ(ヤッホホホ)
夜明けは(夜明けは) まだだ(まだだ)
ヤッホ(ヤッホ) ヤッホホホ(ヤッホホホ)
夜明けは(夜明けは) まだだ(まだだ)

*(  )のついてない部分は一人で、(  )のところはみんなで歌います

この歌は、誰か陽気な人に先行して歌ってもらい、すぐにその後を続けて歌います。

なかなか終わらない歌です。

最後まで来て、「おしまい」とか歌っても、まだ同じ節で「おしまい」と続け、「終わり」「ジエンド」とか続けていく訳です。

何をいっても続けて歌われるので、先に歌っている人は、「しつこい」などと歌います。

それでも“しつこい”と続けるのです。(*`艸´)ウシシシ

私の場合は、もちろん、一人で先と後を歌います。


森の水車

緑の森の彼方(かなた)から
陽気(ようき)な歌が聞えます
あれは水車のまわる音
耳をすましてお聞きなさい
*コトコト コットン
*コトコト コットン
*ファミレドシドレミファ
*コトコト コットン
*コトコト コットン
*仕事にはげみましょう
*コトコト コットン
*コトコト コットン
*いつの日か
*楽しい春がやって来る

雨の降る日も風の夜も
森の水車は休みなく
粉挽臼(こなひきうす)の拍子(ひょうし)とり
愉快(ゆかい)に歌を続けます

*の箇所を繰り返す

もしもあなたが怠けたり
遊んでいたくなったとき
森の水車の歌声を
ひとり静かにお聞きなさい
*の箇所を繰り返す


私は起床後すぐに散歩に出かけます。4時15分頃には出発します。

約6キロの道を1時間20分ぐらいで歩きます。

自分では速足のつもりですが、実際の所は分かりません。

中ごろになり、日辺(ニッペ)の田んぼ沿いの道に来ると、左手に仙台南部道路が見えます。

朝の5時前ですが、上下線とも大型トラックが列をなして通って行きます。

朝早くから、東京方面から来たトラック、東京方面に向かうトラックが続いています。

心の中で”

おはようございます、いってらっしゃい”

と声を掛けます。

そこで、毎朝実感するわけです。

私にとってトラックの走行音は“森の水車の回る音”なんだなあと…………。

(和)