林芙美子記念館

木々の緑が色濃くなる6月のある日、友人と新宿の落合にある林芙美子記念館に行った。

中井駅で昼前に合流し、まず友人が見つけてきてくれた蕎麦屋に行くことにした。

新宿区の上落合にある蕎麦屋『グリーングラス(green glass)』

ひっそりとした住宅街の一角にあり、一軒家の外に掲げられた小さな看板だけが目印。

場所は中井駅から歩いて7~8分ほどの、道路も結構狭い閑静な住宅街にあり、かなり難易度の高いロケーション。

店内には小さなカウンターと2つの掘り炬燵があるだけで、隠れ家という言葉がふさわしい蕎麦店だ。友人が予約してくれていた。

蕎麦の産地別の香り・味の違いを楽しんで貰うというコンセプトの店だ。

予約分を当日の朝に製粉・蕎麦打ちしている。

静岡おでん、蛸やわらか煮、焼き厚揚げをもらって、ビールから始める。

ご主人は静岡出身のようだ。静岡の地酒が並んでいる。

友人は冷酒にしたが私はぬる燗で。

軽く飲むつもりが、腰を据えてしゃべっている内にそれなりに飲んでしまった。


今日の目的の 林芙美子記念館 に向かう。

歩いている途中で上空を飛行機が飛ぶ。

羽田空港の時間の延長の関係で空路に入ったそうだ。

芙美子は落合の地を愛し、昭和5年に杉並から移って以来、亡くなるまでの足かけ22年間、落合に住み続けた。

芙美子は新居の建設のため、建築について勉強をし、設計者や大工を連れて京都の寺社や町家を見学に行ったり、深川の木場まで材木を見に行くなど、思い入れは格別だった。

山口文象(ぶんぞう)設計によるこの家は、数寄屋造りのこまやかさが感じられる京風の特色と、芙美子らしい民家風のおおらかさをあわせもち、落ち着きのある住まいになっている。

数寄屋造りの平屋建てで、当時は建坪の制限があったため、芙美子名義の生活棟と、夫で画家である緑敏名義の仕事場棟の2棟を建て、渡り廊下でつないである。

芙美子生存中、この庭一面に孟宗竹が植えられていたそうだ。その死後、次第に竹は切られ、その面影は客間前の庭付近に見られるだけとなった。

京都の寺院や邸宅などを彷彿させる孟宗竹を芙美子は愛したのだろう。

流しの素材や調理台の照明、食器棚など、台所の設えには特にこだわった。

家族の食事のほか、親しい客が訪れると手早く酒肴を作ったそうだ。

流しは芙美子に合わせて低く作ってある。

当時珍しかった冷蔵庫もある。左下の石造の桝は夏にスイカを冷やしたそうだ。

芙美子は恋人を追って尾道から上京した後も、女工やカフェの女給などの職業を転々として、苦闘の日々を送っていた。

その中で書き続けた日記をもとに、著した自伝的小説が『放浪記』だ。

ベストセラーとなり、一躍、売れっ子作家となった。

この家では『うず潮』『晩菊』『浮雲』などの代表作が生み出された。

長い放浪生活の果てに得た、安住の地ともいえる家や庭。

その瀟洒な佇まいの中に、作家の想いや人生が色濃く漂っている。

1951年に心臓まひで急逝。

47年の生涯だった。