バラとアジサイ

東京都文京区にある鳩山会館に友人と出かけた。

鳩山会館(旧鳩山邸)は、内閣総理大臣(第52~54代)を務めた鳩山一郎が1924年に建てた私邸だ。

設計を手掛けたのは、大正・昭和初期を代表する建築家として知られる一郎の友人の 岡田信一郎(1883~1932)で、その当時としては珍しい鉄筋コンクリート造りの洋館だ。

友人は古い建物に興味があり、いろいろなところに行っている。二人とも初めての訪問だった。私は庭のバラを見たかった。

私は書のお稽古が三田であったので、三田線から有楽町線に乗り換えて江戸川橋駅へ。5・6分歩いて到着。友人は先に到着していた。新宿の落合から歩いてきたそうだ。
文京区の音羽の丘山家の美しい洋館が姿を現したのは、関東大震災の翌年大正13年である。

この洋館を建てたのは一郎で、ここを舞台に、戦後政治の画期となった自由党(現在の自由民主党)の創設が計られ、また首相として決断した日ソ国交回復の下準備も行なわれている。

応接間に吉田茂と映っている写真が展示されていた。鳩山と吉田は犬猿の仲のはずだが、なぜか吉田は葉巻をくゆらせて笑顔を見せている。
各所に装飾された鳩をモチーフにした煌びやかなステンドグラスが使われている。日本を代表する作家「小川三知」の作品だ。
綺麗に手入れされた英国風の庭園には90種160株ものバラがあるそうだが、行ったときにはバラはほぼ終わっていた。

友人のその後の目当ては白山神社だった。

行く途中に筑波大学の付属中学や付属高校の隣を通っていく。名門校らしい。

日銀の前の黒田総裁や今の植田総裁の出身校だそうだ。

しばらく歩いていくと、占有公園があった。水戸徳川家2代光圀の弟 松平頼元が、万治2年にここに屋敷を構えた。

占春園はこの松平家の屋敷内の庭園の名残である。ホトトギスの名所として知られていた。

占有公園は斜面と低地を利用した園内は様々な樹木がうっそうと生い茂り、ササに覆われた樹木の下には細い階段状の園路が池に向かって下っている。
中島のある池の回りには大木が生い茂り、静かな雰囲気を漂わせている。

東京では昔の大名の藩邸跡が意外に残っていて、緑が多い。文京区というだけあって、大学が多い。来る途中はお茶の水大学があり、占有公園の隣は筑波大学(元の東京教育大学)がある。

もっと白山神社を目指して歩いていくと、小石川植物園の西端に出た。正門のほうまではだいぶ長く歩いた。

小石川植物園は植物学の研究・教育を目的とする東京大学の附属施設だ。

一般に開放されている。約340年前の貞享元年(1684)に徳川幕府が設けた「小石川御薬園」がこの植物園の遠い前身で、明治10年、東京大学が設立された直後に附属植物園となったそうだ。

入ってしまうと時間がいくらあっても足りないので、門の前を通過。今度は時間をゆっくり作って来ましょうと友人と語り合った。

開催地となる白山神社は小さな神社だが、隣接する白山公園、そして富士塚を含めて見事にあじさいが咲き誇っていた。

広場ではご町内の鋸歯高校の京華学園女子マーチングバンド部 “Sophisticated Blue” の演奏があり、若々しい演技に拍手。

その後はこれまたご町内の東洋大学のジャズ演奏があるようだったが、聴かずに神社を後にした。

富士塚に登りたかったが、長蛇の列で断念した。富士塚は富士山を模した人口の山で、この小さな築山に登れば富士山に登ったことと同じ霊験が得られるといわれ、パワースポットとしての人気も絶大。私は富士塚を初めてみた。